■2001年12月31日(月)~2002年01月04日(金)
■湯田 湯田
参加者 | スタッフ : | 武冨・徳永・山内 |
選 手 : | 山口・山崎・天羽・北山・橋本・挽地・坂藤・森本・浦田・辻・蔭山 |
今年の年末年始合宿は、中国昆明と山口(大島・湯田)に分かれての合宿となった。 昆明では大阪国際女子マラソンを狙う松岡と山本・坂本が、大島では都道府県女子駅伝メンバーも交えて年末まで、年始には湯田に移動して新年を迎えて今年のスタートを切ることにした。 昆明と分かれた事もあるが、山口・挽地・橋本の故障などで元気で走れる選手が少なく寂しい合宿となった。 そんな中、平成14年度入社予定の浦田・坂藤らが一生懸命走る姿勢がムードを盛り上げてくれた。 平成14年度は天満屋陸上部も10年の節目が過ぎ新たなスタートを切る年と位置付け、基本の反復・自己に厳しく・プレッシャーを掛けた練習をチーム目標に掲げ、この10年間でやり残した全日本実業団駅伝優勝を目指したスタートを切る事を確認した。 |
(天羽選手) この合宿の目標はしっかり練習をこなす事。距離をしっかり踏む事を頭に入れていた。1000m8本の練習では1本もタイム通り走る事が出来ず高校生にも負けてしまうという情けない練習に終わってしまった。T・T5kmにしても、おもいっきり走っているつもりが全く走れていない現実を身にしみて感じた。この一年間足を治す事に必死になっていなかった結果だと思う。年を新たにしっかり目標を持ち湯田にのぞんだ。距離走の時何度かいい動きが出来た。600mc・cではリズムをもちながら1本1本集中して走った。思っていたよりか走る事が出来苦しかったがうれしかった。基本の動き・自己に厳しく・プレッシャーをかけた練習を常に頭に入れておき今の自分に足りない「必死」という事を補う為にも何事においても必死になってこの一年頑張ります。 |
■2001年12月27日(木)~2001年12月30日(日)
■大島 大島
参加者 | スタッフ : | 武冨・徳永・山内 |
選 手 : | 山口・山崎・天羽・北山・橋本・挽地・坂藤・森本・浦田・辻・蔭山 |
今年の年末年始合宿は、中国昆明と山口(大島・湯田)に分かれての合宿となった。 昆明では大阪国際女子マラソンを狙う松岡と山本・坂本が、大島では都道府県女子駅伝メンバーも交えて年末まで、年始には湯田に移動して新年を迎えて今年のスタートを切ることにした。 昆明と分かれた事もあるが、山口・挽地・橋本の故障などで元気で走れる選手が少なく寂しい合宿となった。 そんな中、平成14年度入社予定の浦田・坂藤らが一生懸命走る姿勢がムードを盛り上げてくれた。 平成14年度は天満屋陸上部も10年の節目が過ぎ新たなスタートを切る年と位置付け、基本の反復・自己に厳しく・プレッシャーを掛けた練習をチーム目標に掲げ、この10年間でやり残した全日本実業団駅伝優勝を目指したスタートを切る事を確認した。 |
(天羽選手) この合宿の目標はしっかり練習をこなす事。距離をしっかり踏む事を頭に入れていた。1000m8本の練習では1本もタイム通り走る事が出来ず高校生にも負けてしまうという情けない練習に終わってしまった。T・T5kmにしても、おもいっきり走っているつもりが全く走れていない現実を身にしみて感じた。この一年間足を治す事に必死になっていなかった結果だと思う。年を新たにしっかり目標を持ち湯田にのぞんだ。距離走の時何度かいい動きが出来た。600mc・cではリズムをもちながら1本1本集中して走った。思っていたよりか走る事が出来苦しかったがうれしかった。基本の動き・自己に厳しく・プレッシャーをかけた練習を常に頭に入れておき今の自分に足りない「必死」という事を補う為にも何事においても必死になってこの一年頑張ります。 |
■2001年12月26日(水)
■福岡県 宗像市
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■2001年12月15日(土)~2002年01月09日(水)
■中国 中国
参加者 | スタッフ : | 篠原 |
選 手 : | 松岡・山本・坂本 |
松岡は大阪国際マラソンに向け強化。山本・坂本は松岡のマラソン前の練習を共に経験し、将来自分達がマラソンに挑戦する時この経験が生かせることを目的として実施した。 坂本は昨年も昆明合宿を経験し、全日本実業団ハーフで4位に入るきっかけとなった。 松岡・山本は今回初めての昆明合宿。松岡は、苦しみながら練習をこなしたが貧血気味で合宿を終えた。 山本は遅れながらも練習をこなし少しずつ逞しくなった。 坂本は中盤で風邪をひいてしまい合宿後半まで響いた。三人三様苦しんだ合宿だったが必ず将来につながる合宿だった。 |
(山本選手) 全日本駅伝が終わってすぐの昆明入り。少し疲れもあったけど初めての昆明に少しワクワク、少し不安だった。自分に苦手な高地トレーニングで最初から本当にきつかった。毎日が一回一回の練習がすべて全体力を使っているようなそんな気がした。日本とは全く違う環境でストレスもたまったけど、後半はきついなりにもしっかりと耐えて頑張れたと思う。一人だけ離れて、ついていけずに何回も涙を流して悔しかったけどこれも必ず次のレースやこれからに生きてくるはず…と自分に言いきかせて走った。昆明に入ってからずっと足の調子もあまり良くなっかたけど、マッサージの方や運転手・通訳さん皆に支えられて乗り越えられた合宿だった。日本じゃないからこういう方がおられないと本当にちゃんと走れなかったし感謝したい。先輩のマラソン練習と一緒に走れたこともいい経験だし、いつか自分がマラソンをやる時もいい練習がしたいと思った。しっかりと補強もやれたと思うがこれからも続けて頑張ろうと思う。動かない体でも耐えて頑張る…いろいろ学べた合宿だった。 |
■2001年12月09日(日)
■岐阜県 岐阜市 長良川競技場発着
3位入賞! ご声援ありがとうございました。 |
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![]() |
![]() ゴール後 全員でガッツボーズ |
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![]() 1区 坂本選手 |
![]() 3区 松岡選手 |
![]() 4区 山崎選手 |
![]() 5区 山本選手 |
![]() 6区 北山選手 |
大会前にその年の世界陸上に2名出場しながらマスコミの予想に挙がらないのは天満屋だけだと撃を飛ばし、大会に臨んだ。もちろん今の状態であれば充分に戦える! との思いも強かった。その思いを感じ、選手達がこれが駅伝だ!! と言う走りを全員でしてくれた。 1区坂本はスタートから積極的に先頭を走り後半遅れはしたものの、後の選手を勇気づけた。 2区松尾は坂本の分を取り戻そうと少しオーバーペース気味だったが4人抜いて区間2位の走りで11位でエース区間の3区松岡へ。 もし松岡が悪かったら、レースとしては成り立たなかっただろう。今大会3位の立て役者と言える。粘り強い走りで、6位に引き上げたばかりか、4区、山崎が走り易い様な流れを作った。 山崎は目の前に3名の選手を確実にとらえ、区間賞の走りで3位まで追い上げた。今年の駅伝では長い区間を走れる様にと取り組んでいた山本へ。 山本の前を走るのは日本の中距離No.1の田村(グローバリー)実力的な差はあった。しかし、とにかく前へとの思いだったのだろう。6秒差を追い付いて、田村と9kmすぎまで併走する粘りを見せた。後方からまた大南(東海銀行)に抜かれ4位に落ちたが充分役目を果たした。 6区北山は天満屋へ入ってから初めての大きな駅伝出場、ひょっとしたら、後に抜かれるかも? との思いで見ていたが、高校時代に大きな舞台経験をしていることが生きた。タスキをもらったらとにかく前へ前へと積極的に追いかけ、前を行く斉藤(グローバリー)をかわし3位に浮上し、大南(東海銀行)を抑えて区間賞の土産まで持って3位でゴールしてくれた。 本当に全員の力と応援の方々とがひとつになって得た結果だった。 |
■2001年12月03日(月)
■岡山県 岡山市
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全日本実業団駅伝、1週間前と言う事もあり5kmまで17分のペース走で入り、残り5kmで追い上げる設定で臨んだ。予定通り5kmまでは後方で走り後半追い上げた。ダイハツの山中や四国電力の真鍋ら日本のトップレベルの選手には追い付けなかったが4名が10位以内で走り、好調な所を見せてくれた。 |