伊原木茂兵衛(三十七歳)、備前西大寺に小間物店を創業
呉服を中心とした商売を開始
小売専業となり、正札販売を開始
駆け引きにより値段を決めるのが当たり前の当時としては異例の「一厘もまけなし」の経営方針を打ち出し話題に。岡山市中之町 37番地に支店開設
鉄道の開通により、高瀬舟により発展をとげてきた西大寺の、地の利が悪くなり、岡山市への進出を決意。岡山における地盤を固めていった。天満屋株式会社を創設
商号を株式会社天満屋に変更
3月11日、火災により本館と付属建物を全焼するが、10月には新館をオープン
火災から18日後には仮設で営業を再開するなど、迅速な再建をする。岡山店新店舗屋上に子供の国オープン
6月29日の岡山空襲により全館焼失するが、3ヶ月余りで営業を再開
10月10日に1階南半分を売場として営業再開、当時商店がほとんどなく、市民の間に大きな話題となった。天満屋バスステーションを開設
これから発展するであろうバス交通のターミナルの重要性を予見し、岡山市のため、市民の便益のために天満屋北側に開設。福山店 新店舗開店
1947年(昭和22年)に百貨店業態としては初めて福山へ県外進出。その当時からの狭く老朽化した木造2階建ての店舗から、全館白亜の美しい外観の店舗へ。倉敷店 新店舗開店
1934年(昭和9年)より倉敷出張所が営業、その後地元の「つるや百貨店」「菊屋百貨店」と統合・増改築して開店。広島八丁堀店 新店舗開店
1954年(昭和29年)から広島進出。福山店と同時施行という経営上の大きな危険を冒しながら、中国地方の中枢都市広島にふさわしい百貨店に一新。岡西館印刷 株式会社(現:株式会社 コーセイカン)
と資本業務提携
株式会社 天満屋ストア 設立
株式会社 天満屋航空サービス
(現:株式会社天満屋トラベル)設立
株式会社 岡山情報処理センター(現:OEC株式会社)
と資本業務提携
株式会社 ハピーバラエティ(現:株式会社 でりか菜)設立
天満屋みのり会サービス 株式会社 設立
山陽警備保障 株式会社(現:株式会社 山陽セフティ)を子会社化
三原店を開店
新幹線の停車駅となるのを機に、広島進出以来20年ぶりの新規出店。株式会社 天満屋パーキング
(現:株式会社 セフティパーキング) 設立
株式会社 天満屋カルチャー
(現:株式会社 天満屋フィットネス) 設立
株式会社 モア(現:天満屋カードサービス 株式会社) 設立
株式会社 ポムアン 設立
天満屋デリバリーサービス 株式会社
(現:せとうちデリバリーサービス 株式会社) 設立
株式会社 天満屋キャリアプランニング
(現:株式会社 キャリアプランニング) 設立
株式会社 バジェット・レンタカー中国
(現:株式会社 天満屋レンタカー) 設立
株式会社 ユー・コーポレーション
(現:株式会社 天満屋テニスクラブ) 設立
天満屋ロゴリニューアル
160周年の記念事業の一環として、天満屋の英字ロゴ・日本字ロゴを現在のものへ変更。合わせて包装紙・キャリーなどもモデルチェンジ。広島アルパーク店を開店
「街あそび・夢さがし」「エンジョイライフストア」広島市のベッドタウンで新しい都市型百貨店として挑戦。米子しんまち天満屋を開店
新高感度専門百貨店・地域文化の新しい拠点=「快適生活編集館」。東児が丘マリンヒルズゴルフクラブ
(現:株式会社天満屋スポーツパートナーズ) オープン
広島緑井店を開店
ローコスト・ハイイメージで人にやさしい空間とサービスの提供。津山店を開店
文化と商業が融合した都市型複合施設 「生活文化百貨店」「嬉しい百貨店」。福山ポートプラザ店を開店
コンセプトは「カジュアルなおしゃれ百貨店」。高松天満屋を開店
ターミナルの「デイリー百貨店」、街の生活文化も提案できる「複合型百貨店」。株式会社 アイアットOEC 設立
電通テック 株式会社(現:株式会社 でんでん)を子会社化
株式会社 ハウジング山陽
(現:株式会社 ティ・シー・シー) 設立
全国初 商店街と百貨店の免税一括カウンターが岡山本店にオープン
「子育てサポート企業」としてくるみんマーク取得
「女性活躍推進企業」としてえるぼしマーク取得
株式会社 天満屋ハートネット 設立
株式会社 岡山京橋クルーズ 設立
株式会社 でりかエッセン 設立(株式会社でりか菜より事業分割)
株式会社 おかやま旭川遊覧クルーズ 設立
株式会社 天満屋ストアが株式会社 三好野本店を子会社化
優良な「子育てサポート企業」としてプラチナくるみんマーク取得