■2001年08月26日(日)
■津山 津山
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秋の宮城国体の選考会。去年に続き5000mに松岡・800mに山崎が出場。 800mの山崎はひとりで走ってこのタイムはよいと思う。本番では入賞も可能だろう。 5000mはそろそろ松岡ではなく、山本や坂本が出場できる様になってほしい。 世界陸上直後に松岡が走らなければならない様では苦しい。 |
■2001年08月19日(日)
■イギリス イギリス
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![]() スタート直前の坂本選手(7) |
![]() ゴール直後 |
3月の全日本実業団ハーフマラソンで出場資格を得て初めての海外での大会。 出発前には調子が上がっていたので期待していたが、レース前に発熱、ベストコンディションでスタート出来なかったのが悔やまれた。もう一度チャンスを与えたい。 |
(坂本選手) 初めての海外遠征となりとても楽しみでした。グラスゴーは思っていたより寒く衣類の用意が不充分でした。その為かレース前日に熱を出してしまい体の節々が痛く思いきったレースが出来ませんでした。レース当日は少し雨が降りとても寒かったです。8000人も参加しておりスタートの時はもみくちゃ状態でした。体調のことも考えスタートからマイペースで走りましたが思っていた以上に体も動き、ほどよいペースの集団の中にいたので楽しく気持ち良く走れました。沿道の応援も多く最後に集団から離れそうになったら、ずっと一緒に走っていた男の人が応援してくれたりと、とても力になりました。しかし、レースはレースで自分の力を全部出せなくて残念です。良い経験をさせて頂いたと思います。今回の遠征で良かった点も悪かった点も次につながると思います。またこのような機会を頂けるように頑張りたいです。 |
■2001年08月18日(土)~2001年08月19日(日)
■津山 津山
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日本選手権の予選を兼ねた。3位入賞と標準記録突破が条件。 1500mに出場した山崎は、中国地区では負けられない種目だったが、夏の強化期間中もありラストの切れがなく藤井(デオデオ)に敗れて2位となった。 5000mの橋本、10000mの山本は記録的には平凡だが順当に勝った。 |
■2001年08月12日(日)
■カナダ カナダ・エドモントン
![]() 7キロ地点 |
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練習の過程で、名古屋で優勝した時より走れた松尾。急遽、補欠から出場することになった松岡。松尾には本当にメダルが手に届くのではとの思い。松岡にはせっかく舞い込んだチャンス。1週間前にエドモントンに入った2名の状態は本当に良好で、正直レース3日前に今日スタートだったらな、と思えた。 レース当日の朝松尾が、36.8℃まで熱が出てしまった。完全に私のチェックミスだった。 レースはスタートから予想通りのスローペースとなった。これなら松岡も十分に戦えるレースの流れだと思ったが、まず、松岡が10㎞も付けずに遅れだす。まさか10㎞で遅れるとは考えもしなかった。ただ10㎞で遅れてからは良く粘った。まだマラソンを始めて3回目、この粘りがマラソンでは一番大切。これを経験に次で戦える様に成長してほしい。 残念だったのが松尾。当日熱が高かったこともあり、松尾らしからぬレース内容に思えた。スタート直後から前へ前へとの思いが今考えれば不安を隠す方法として走っていた。それが一番苦しいポイントで遅れた要因だった。それでも多くの人々の声援に応えようと、最後までレースを諦めず走った。結果は9位だが世界で戦えると言う手応えを感じさせてくれた。 今回は松尾・松岡の食事サポートで来て下さった高橋先生(岡大)を始め応援していただいた方々にメダルを土産にしたかったのだが残念だった。この経験を必ず次のチャンスに生かし、声援に応えたい。 |
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(松尾選手) 今回、世界陸上に向けて自分では3ヵ月間集中してやってきたつもりですし、練習を積んでいく中で手応えも感じていたため楽しみにしていました。スタートラインまでの過程に悔いがなかったため余計この結果が悔しいです。多くの人達が応援し支えてくれたし、何よりその人達が楽しみにしていてくれたから終わってみてさらに残念に思います。それに応えるためだけに走っていた訳ではありませんが不完全燃焼です。終わってみて身体に余裕があるのも寂しかったけど、それ以上に心は随分疲れていました。体調は随分上がってきていて戦える状態だったと思いますが、自然に上がってきた感じではなく気持ちで上げよう上げようと思ってやってきたものだからレース前にはどこか疲れているなぁと感じていたのも事実です。疲労が抜けるのが少し遅れたため出発前に少しあせっていたのもあると思います。また次にマラソンを走りたいと思えたら、次も怖がることなく練習・レースに挑戦する気持ちでやりたいです。今はきついと思ってますがレースまでの過程は本当に楽しんでやれました。ありがとうございました。 |
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(松岡選手) 急遽の出場となり最初はうれしかったと言うよりもびっくりしてしまったと言う事の方が本音である。出場が決まった日(8/3)は1日体も気持ちもふわふわしている感じでぼーっとしていた。練習面では3月からずっと松尾さんのパートナーとして練習できていたし距離もふめていたので不安はなかった。レースの1週間前に現地に入り今までのマラソンに比べると気持ち的にも少しはゆとりがあったと思うし体も今までになく、自分でもびっくりするくらい、いい感じで絞れていた。しかし、現地に入っても1週間後に大きな大会(世界陸上)に出場するという気持ちはなかった。体と心が空回りしていたかもしれない。さすがにスタートラインに立った時は緊張したがワクワクもしていた。スタートすると集団の後ろを行ったり来りの状態で自分のリズムがつかめず変に力が入ってしまい10㎞で離れてしまい勝負どころの30㎞で勝負するという事ができなかった。レースに集中しなければと思うほど変な緊張感があり集中できてなかったように思う。せっかくの世界陸上に出場できても心と体が1つにならなくて、それがそのまま結果となってしまった。今、思えばレースに向け気持ちを高めていく事ができてなかった。今回、気持ちの面でもいい経験ができたと思うし、いい勉強もできた。 |
■2001年07月29日(日)~2001年08月10日(金)
■大分 大分
参加者 | スタッフ : | 武冨・篠原・徳永 |
選 手 : | 松岡・山崎・天羽・森本・山本・坂本・北山・橋本・挽地 |
世界選手権女子マラソン出場の為、松尾・松岡が不参加。山口が足の治療の為岡山に残留。ベテランの3人を欠く合宿となった。 そんな中、天羽・山本・橋本・北山は緊張感を持って取り組めた。特に山本・橋本は例年にない走り込みができ、秋に向けて楽しみだ。また挽地も確実に練習できた。今回で10回目の翡翠の庄での合宿。毎回温かく迎えてもらい、いい雰囲気の中で合宿できることに感謝しています。 |
(橋本選手) 今年に入って今回の合宿が自分では納得のいく練習ができたと思う。体はきついなりに最後まであきらめず粘り強く走れて自信につながる練習になった。30㎞走と、のぼり1㎞+500mの練習が一番自信になった。今回走った30㎞が一番きつくて泣きそうなくらい苦しかったけど走り終わってからは満足だった。のぼりは去年よりはしっかり足と上体を使ってがんばって高校生の後ろを走ることなく強気でのぼれた。途中でやっぱり泣きそうになって後ろに下がってあきらめそうになったけど粘り強く頑張ることを忘れず必死で頑張った。自分の体調に合わせてやりすぎずしっかり強弱をつけるように考えて練習できたと思う。合宿で何度も筋肉痛になったのでもっと鍛えなければいけないと思う。走り込むとすぐに足首の周りがはって痛くなる事がわかったので、しっかり足首も鍛えようと思った。練習で疲れ過ぎてあまり補強ができていなかった。次の日の練習でこなせるように自分でも毎日体のケアができた。毎日、いい練習ができて楽しく走れるのはたくさんの人に応援してもらっていろいろな事で助けてもらっているからだということがよく分かった。感謝の気持ちを忘れず頑張ろうと思う。 |